クリニックを閉院・移転するとき、受付、診察室、処置室、医療機器などをすべて撤去して原状回復する前に、居抜きで次の医療機関へ引き継げないか確認する余地があります。
クリニックは一般的な店舗と比べて、診察室の区画、給排水、電気設備、医療機器、X線設備など、開設時に専用の設備投資が行われていることがあります。
次の開設者がそれらを利用できるのであれば、現在の借主にとっては撤去・原状回復の一部を減らせる可能性があり、後継者側も開業時の工事や設備導入を減らせる場合があります。
ただし、クリニックの居抜きは、内装や設備を残せば成立するわけではありません。
貸主との返還条件、医療機器の所有権、X線設備、診療録・患者データ、感染性廃棄物、診療所の廃止・開設手続など、一般店舗にはない確認事項があります。
この記事では、クリニックを居抜きで退去・造作譲渡するときに何を確認すればよいかを、実務の順番で整理します。
クリニックの居抜き退去とは
クリニックの居抜き退去では、現在使用している内装や設備の全部または一部を残し、次の事業者が利用できる状態で引き継ぐことを目指します。
対象になり得るものには、例えば次のようなものがあります。
- 受付カウンター
- 待合室の内装・家具
- 診察室・処置室の間仕切り
- 診察台・処置台
- 心電計・エコー等の医療機器
- 給排水設備
- 電気・通信設備
- 空調
- X線診療室の内装・設備
- 収納・造作家具
ただし、店内にあるものがすべて現在の借主の所有物とは限りません。
貸主所有設備、リース・レンタル品、メーカー等から貸与されているものが混在している場合があるため、造作譲渡の対象を決める前に所有関係を整理します。
設備所有権については居抜き設備の所有権は誰?、リース品については居抜き店舗のリース品の処理も確認してください。
「居抜き」と「医院の事業承継」は分けて考える
クリニックでは、「居抜き譲渡」「医院承継」「事業譲渡」などの言葉が近い意味で使われることがあります。
しかし、退去実務では分けて考える必要があります。
| 項目 | 居抜き・造作譲渡 | 医院の事業承継 |
|---|---|---|
| 中心となる対象 | 物件、内装、造作、設備、医療機器等 | 医院の事業そのもの |
| 患者 | 当然には引き継がない | 承継設計の対象になる場合がある |
| 診療録・患者データ | 単なる設備譲渡と一緒に渡すものではない | 法令・個人情報保護上の条件を確認して承継する場合がある |
| スタッフ | 通常の造作譲渡とは別問題 | 雇用承継等が取引内容に含まれる場合がある |
| 主な価格対象 | 内装・設備・機器等 | 設備等に加えて事業価値を含む場合がある |
このサイトで扱う「クリニックの居抜き退去」は、主にテナントの返還と、内装・設備等を次の利用者へ残せるかという範囲です。
患者基盤や医療法人そのものを含むM&A・事業承継は別の検討領域になります。
クリニックを居抜きで退去するときの8つの確認
1.現在の賃貸借契約と原状回復条件
最初に確認するのは、現在の賃貸借契約です。
クリニックであっても、契約上スケルトン返しや一定範囲の原状回復が定められている場合があります。
確認したいのは、
- 解約予告期間
- 原状回復範囲
- スケルトン返しの有無
- 借主設置設備の撤去条件
- 指定業者・工事区分
- 後継テナントに関する条件
などです。
居抜きが成立しなかった場合に、どの状態まで戻す必要があるのかを先に把握しておきます。
居抜き時の原状回復義務は居抜き店舗の原状回復義務で整理しています。
2.貸主・管理会社が居抜き退去を認めるか
後継医師や医療法人が見つかっても、借主だけの判断でクリニックを残したまま返還できるとは限りません。
貸主・管理会社には、例えば次の事項を確認します。
- 居抜き状態で後継者を募集できるか
- 次も医療用途として使用できるか
- 残してよい内装・設備
- 撤去が必要な設備
- 後継者の審査方法
- 現在の借主の原状回復義務をどこまで変更するか
物件によっては、診療科や設備内容によって貸主側の確認事項が増えることもあります。
貸主との調整については居抜き退去で貸主へ確認する事項も参照してください。
3.医療機器・設備の所有者を整理する
クリニック内の機器をすべて造作譲渡価格へ含めるのは避けます。
設備ごとに、
- 自院で購入したもの
- 前の開設者から譲り受けたもの
- 貸主所有設備
- リース品
- レンタル・貸与品
へ分けます。
特に、高額な医療機器がリースであるケースでは、現在のクリニックが自由に売却できるとは限りません。
後継者がその機器を使いたい場合も、機器の造作譲渡とは別にリース会社等との契約処理が必要になる場合があります。
医療機器を中古で流通させる場合には、機器の種類や流通方法によって確認事項があるため、自院だけで判断せず、医療機器を取り扱う専門事業者へ確認して進める方が安全です。
4.X線装置とX線診療室を設備一式として扱わない
クリニック固有の論点として特に注意したいのが、診療用X線装置です。
X線装置本体と、X線診療室の壁・扉等の遮蔽設備は分けて確認します。
装置については、現在の医療機関での使用を終了する場合に行政上の届出が関係します。
また、次の開設者が同じ装置を利用する場合でも、単に「置いておけばそのまま使用できる」とは考えず、後継者側で必要な開設・設備関係の届出を所管保健所へ確認します。
東京都では、診療用X線装置を廃止した場合の廃止届が用意され、廃止後10日以内の届出が案内されています。
具体的な様式や提出先は所在地によって異なるため、所管保健所へ確認します。
なお、X線診療室についても「壁に鉛が入っているから価値がある」とだけ判断しません。必要な遮蔽性能、実際の壁構成、次の診療内容などを確認する必要があります。
居抜きが成立せず撤去する場合の特殊設備についてはクリニックの内装解体で整理しています。
5.診療録・患者データを造作譲渡の設備一覧に含めない
カルテ、検査記録、画像データなどは、受付カウンターや診察台と同じ「残置物」ではありません。
医師法では、診療録について5年間の保存義務が定められています。
また、診療録や検査情報等には患者の個人情報が含まれます。
そのため、パソコン、サーバー、NAS、電子カルテ端末などを次のテナントへ残す場合も、機械そのものと内部データを分けて考えます。
例えば、
- 端末だけを譲渡する
- 保存義務のある診療録を別の場所で継続保管する
- 電子カルテの契約を終了・移転する
- 不要となった端末データを復元できない形で消去する
などの処理が考えられます。
個人情報保護委員会は、不要となった医療関係の個人データや、それを保存した情報機器を廃棄する際には、復元できない形で廃棄・消去するよう示しています。
6.医院承継なら患者データの扱いを別途設計する
単なる居抜きではなく、医院の事業そのものを別の医療機関が承継する場合は、診療録等の取扱いも変わります。
個人情報保護委員会は、医療機関の廃止等により別の医療機関が業務を承継するケースについて、事業承継に伴う個人データの提供として、承継先を個人情報保護法上の第三者に当たらないものとする例を示しています。
ただし、これは後継テナントが見つかっただけでカルテを渡してよいという意味ではありません。
本当に事業承継に当たるのか、どの情報をどの目的で引き継ぐのかを整理して進める必要があります。
物件・設備だけの居抜き譲渡であれば、患者データは造作譲渡とは切り離して管理します。
7.感染性廃棄物や診療由来の廃棄物を残さない
閉院時には、内装や家具とは別に、医療行為に伴う廃棄物を整理します。
特に感染性廃棄物は、一般的な店舗残置物や内装解体時の建設廃棄物と混ぜて処理するものではありません。
閉院側で診療終了後の在庫・廃棄物を確認し、感染性廃棄物については適正な分別・保管・委託処理を行います。
解体会社が入った後に、注射針等の医療系廃棄物が残っている状態を避けます。
医療機関から発生する感染性廃棄物については、環境省のマニュアルに基づいた処理が必要です。
8.閉院手続と後継者の開設手続を居抜き契約と分ける
クリニックの居抜きで特に注意したいのが、「同じ場所で次もクリニックになるから、行政上もそのまま引き継げる」と考えることです。
現在の医療機関を廃止する場合は、医療法上の廃止届が関係します。
医療法では、診療所等を廃止したときは10日以内の届出が定められています。
一方、後継者が別の開設者として同じ場所で診療所を始める場合には、後継者側で必要な開設手続を確認します。
個人開設か医療法人開設か、診療内容、X線等の設備の有無などによって必要な手続が変わるため、居抜き契約を確定する前から所管保健所へ相談する方が安全です。
不動産の引渡日、現在の診療所の廃止日、後継者の開設予定日を別々に管理します。
クリニックの居抜きで価値を残しやすいもの
クリニックでは、医療機器単体の中古価格だけでなく、次の開設者がどの程度工事を減らせるかが重要です。
| 項目 | 確認したい内容 |
|---|---|
| 診察室・処置室 | 区画、動線、次の診療科で利用できるか |
| 給排水 | 診察台・処置設備等で利用できるか |
| 電気設備 | 医療機器に必要な容量・配線があるか |
| X線診療室 | 遮蔽構造、広さ、後継者の設備に適合するか |
| 医療機器 | 所有者、年式、状態、保守状況 |
| 受付・待合 | 患者導線、内装状態、再利用性 |
| 空調・換気 | 能力、状態、所有関係 |
| 賃貸条件 | 賃料、保証金、契約条件、医療用途の承認 |
同じ診療科の後継者であれば既存設備を利用しやすいことがありますが、診療科が変われば大規模な改装が必要になる場合があります。
医療機器が高額でも造作譲渡価格が高くなるとは限らない
クリニック開設時に高額な医療機器を導入していても、その購入額がそのまま造作譲渡価格になるわけではありません。
次の事業者から見て、
- その機器が必要か
- 年式・状態はどうか
- 保守やメーカー対応を継続できるか
- 次の診療科で利用できるか
- リース等ではなく譲渡可能か
- 撤去・移設費がかからないか
などによって評価は変わります。
造作査定については造作譲渡の査定で確認される項目、価格設定は造作譲渡価格の決め方で整理しています。
居抜きで残す設備と単体で売却する設備を分ける
すべての医療機器を後継テナントへ残す必要はありません。
例えば、後継者が不要な機器で中古需要がある場合は、専門の買取・流通事業者へ売却した方がよい場合があります。
そのため、設備を、
- 後継者へ造作として譲渡するもの
- 移転先へ持っていくもの
- リース会社へ返却するもの
- 専門業者へ売却するもの
- 適正に廃棄するもの
に分けます。
設備買取全般については設備・什器買取も確認してください。
後継者は「医師なら誰でもよい」わけではない
居抜きで設備を残す場合、次の開設者が現在の物件・設備を実際に利用できるかを確認する必要があります。
例えば、
- 内科から内科
- 内科から皮膚科
- 眼科から一般内科
- 歯科から医科
では、必要な設備・診療動線が大きく異なります。
現在の設備に近い診療科ほど再利用しやすい傾向はありますが、診療科名だけで判断せず、後継者が必要とする設備を個別に確認します。
居抜きで後継テナントを探す方法も参考にしてください。
閉院日まで後継者を探し続けない
クリニックの居抜きでは、通常の店舗以上に後継者決定後の確認事項があります。
候補者が見つかっても、
- 貸主の審査
- 賃貸条件の合意
- 造作・医療機器の確認
- リース契約等の処理
- 医療法上の開設手続の確認
- X線等の設備届出確認
が残ります。
居抜きが成立しなかった場合には、原状回復・内装解体が必要になる可能性もあります。
そのため、退去期限から解体工期・貸主検査・是正期間を逆算し、居抜きを断念して通常退去へ切り替える期限を設定しておきます。
クリニックを居抜きで退去する実務手順
- 賃貸借契約を確認する
解約予告、原状回復、スケルトン返し、設備撤去条件を確認します。 - 貸主へ居抜き可能性を確認する
後継者募集、医療用途、残せる設備を整理します。 - 設備一覧と所有者一覧を作る
自院所有、貸主所有、リース等を区分します。 - X線・特殊設備を切り分ける
装置、診療室、行政手続を別々に確認します。 - 診療録・患者データを設備譲渡から分離する
保存義務、事業承継の有無、電子機器内データを確認します。 - 感染性廃棄物等を処理する
一般残置物・解体廃材へ混ぜません。 - 造作査定と後継者募集を行う
次の診療科で再利用しやすい情報を整理します。 - 貸主・後継者・行政手続を並行調整する
造作契約だけ先に完成させないようにします。 - 居抜き不成立なら原状回復へ切り替える
解体工期を確保できる期限を守ります。
居抜きが成立しない場合はクリニック特有の撤去項目を確認する
後継者が見つからず、契約どおりの原状回復へ戻る場合は、一般内装だけでなく医療機関特有の設備があります。
例えば、
- X線診療室
- 診療用X線装置
- 診察台・医療機器
- 医療ガス設備
- 床下の給排水
- 特殊な電気・通信配線
- 医療機関の看板
などです。
これらを一般的なオフィス内装と同じ感覚で一括撤去せず、貸主との返還条件と、設備ごとの安全・法令上の手続を確認します。
具体的な解体発注はクリニックの内装解体はどう進める?で詳しく整理しています。
よくある質問
クリニックは居抜きで退去できますか?
可能な場合があります。ただし、現在の賃貸借契約、貸主の承諾、後継者の入居審査、設備所有権、行政手続などを確認する必要があります。居抜きという理由だけで原状回復義務が自動的になくなるわけではありません。
医院承継と居抜き譲渡は同じですか?
同じとは限りません。居抜き・造作譲渡は主に物件、内装、設備等を引き継ぐ取引です。一方、医院の事業承継では、患者、スタッフ、診療録、営業上の関係などまで対象になる場合があります。
カルテも次のクリニックへ渡せますか?
単なる造作譲渡の設備と同じ扱いにはしません。事業承継として診療業務を引き継ぐ場合には個人情報保護上の扱いが別途ありますが、本当に事業承継に当たるかを確認する必要があります。また医師法上、診療録には保存義務があります。
X線装置はそのまま後継者へ渡せますか?
自院所有かどうか、装置の扱い、廃止・備付等に必要な届出を確認します。現在の開設者側と後継者側で必要な手続が同じとは限らないため、所管保健所へ事前に確認します。
X線室も造作として価値がありますか?
次の開設者が利用できる場合には工事負担を減らせる可能性があります。ただし、必要な遮蔽性能、室の大きさ、後継者が導入する装置等との適合性によって評価は変わります。
医療機器は全部売却できますか?
自院所有であることをまず確認します。リース・レンタル・貸与機器は別契約です。また中古医療機器には機器区分等に応じた流通上の確認事項があるため、専門業者へ確認して進める方が安全です。
閉院するときは届出が必要ですか?
診療所を廃止した場合、医療法では廃止後10日以内の届出が定められています。X線設備等について別の届出が必要になる場合もあるため、所在地を管轄する保健所へ確認してください。
感染性廃棄物も後継者へ残せますか?
通常の造作・残置物と同じ扱いにしません。感染性廃棄物は閉院側で分別し、廃棄物処理法等に基づいて適正に処理します。
後継者が見つかったら原状回復は不要ですか?
後継者が見つかっただけでは決まりません。貸主が後継者との賃貸借を認め、現在の借主についてどの状態で返還すればよいかが確定する必要があります。
クリニックは設備を撤去する前に、居抜きで残せる範囲を整理する
クリニックの退去では、一般店舗より先に壊してはいけない設備が多くあります。
X線診療室、給排水、診察室の造作、医療機器などを先に撤去してしまえば、後継者がそのまま利用できた可能性を失います。
一方で、後継者探しだけを続け、原状回復へ切り替える時間を失うことも避ける必要があります。
賃貸借契約確認 → 貸主相談 → 設備所有権整理 → X線・診療録・廃棄物等の医療固有項目確認 → 査定・後継者募集 → 賃貸借・造作・行政手続の調整 → 不成立時の原状回復切替という順番で進めると整理しやすくなります。
クリニックの居抜き退去について、どの設備を残せるか、医療機器を造作に含められるか、原状回復とどちらがよいかを整理したい場合は、店舗・オフィスの退去について相談するから相談できます。
